Noriyuki Gaya bidang

「名言に感銘を受けても、5分後には忘れている」 という名言だけは覚えている私がお伝えする、大枠は大勢に従うが、細かいところで抵抗して"みたい"そんな日々。
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kumagaicoffee:

水出しコーヒー

―― じゃあ樋渡さんは日本中の図書館がCCCと組んで武雄市図書館のようになればいい、と?

樋渡:いえいえ。世間から勘違いされがちなのですが、僕はそんなこと、一回も言っていないんです。

 日本中には3200の図書館があるそうですが、そのすべてが武雄市図書館みたいになったら、そりゃおかしいですよ。気持ち悪いです。

 それぞれの図書館がそれぞれのニーズに合わせて運営されればいい。武雄市は新しい事例を示しただけで、みんなこうなるべきだ、とは言ってません。大切なのは多様性です。

 これまでの「図書館道」には、その意味で多様性が欠けていたんじゃないか、と思うのです。民間と組む場合だって、いろいろな形があり得ます。『沸騰!図書館』という本を出したのも、「こうやったらできるよ」というケーススタディ、ヒストリーをお知らせしたかったからです。

―― 図書館改革で最初にぶつかった「壁」はなんですか?

樋渡:図書館を今までの形で続けたい方々の「図書館道(としょかんどう)」です。図書館を作り直す過程でも、オープンしてからも、たくさんの批判を受けましたが、その内容をひとことでいうと「民間委託する武雄市図書館は、本当の図書館じゃない」というものでした。

 僕に言わせると、批判される方たちは皆、こうした「図書館道」を口にする。日本人の悪いクセです。茶道や華道のように、なんでも道(どう)にしたがる。伝統芸能はさておき、公共施設に「道」はいらない。にもかかわらず、図書館はこうあるべし、という「道」をつくって、図書館を狭い箱に閉じ込めて、大半の人にとっては居心地の悪い場所にしてしまう。そこで僕は図書館道から離れて、徹底的に利用者目線で作り直そうとしました。

実は、いま企業が求める「コミュニケーション能力」は、完全にダブルバインド(二重拘束)の状態にあります。ダブルバインドとは、簡単に言えば二つの矛盾したコマンドが強制されている状態のことです。

たとえば日ごろ、「我が社は、社員の自主性を重んじる」と言われている社員が、何かの案件について上司に相談に行くと、「そんなことも自分で判断できんのか。いちいち相談にくるな」と突き放されてしまいます。ところが、いったんトラブルが起こると「重要な案件は何でもきちんと相談しろ。なんで相談しなかったんだ」と上司に怒られてしまう――。

現在、表向き、企業が要求するコミュニケーション能力とは、「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」です。異なる文化・価値観を持った人に対しても、きちんと自分の主張を伝えることができる、文化的な背景の違う人の意見も、その背景(コンテクスト)を理解し、時間をかけて説得し、妥協点を見いだし、そのような能力を以てグローバルな経済環境でも存分に力を発揮できることです。

しかし、実は日本の企業は、自分たちも気がつかないうちに、もうひとつのコミュニケーション能力を求めています。それは、「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見はいわない」「輪を乱さない」といった従来型のコミュニケーション能力です。

いま、就活をしている学生たちは、あきらかに二つの矛盾したコミュニケーション能力を同時に要求されています。しかも、何より始末に悪いのは、要求している側が、その矛盾に気がついていない点です。

 いまから少し前、NHKの『小朝が参りました』という番組で、春風亭小朝が全国の百歳の老人に逢ってまわる企画があった。この本にはその裏話が載っていて、これがおもしろい。

 たとえば、こんなひとがいる。

 戦争へ行って、たくさんの人間を撃ったというお爺ちゃん。この方自身も左肩を撃たれているにもかかわらず、「また戦争してえ。人を撃ちてえなあ。あの感じが忘れられねぇんだよ」と、目を輝かしてお話になるのです。
 いいですねえ。健康の秘訣なんかどうでもいいからこういうところをクローズアップしろよ、と思うのだが、当然、この部分はカットされて画面には白鳥が映っていたそうだ。

 こんなひともいる。

 家の中で倒れて救急車で運ばれ、しばらく入院してから家へ戻ったというお婆ちゃんは、その時のことを恥ずかしそうにお話になっていました。私が理由をおたずねすると、「だってあなた、この歳で救急車に乗ったら、そのまま死ななきゃみっともないじゃないですか」
 その恥じらいがかわいいというか何というか。

308  アルコールランプ(埼玉県) 2010/02/12(金) 16:39:49.42 ID:H4E4EQxA

食べることがハッピー、寝ることがハッピーくらいのスタンスでいいよ
自己成長とか人間として何かを残すとかを中心にすると疲れる
基本的に作家、コラムニスト、は「変な人」であって、「市井の人々の本音を代弁する何か」ではない

aurorae:

阪神百貨店 屋上 1960年代 (by minoru karamatsu(柄松 稔)panDx1)

(h-yamaguchiから)

村上  おたずねしてみたかったのですけれど、夫婦というのは一種の相互治療的な意味はあるのですか。

河合  ものすごくあると思います。だから苦しみも大変深いんじゃないでしょうか。夫婦が相手を理解しようと思ったら、理性だけで話し合うのではなくて、「井戸」を掘らないとだめなのです。

(中略)

 ぼくもいま、ある原稿で夫婦のことを書いているのですが、愛しあっているふたりが結婚したら幸福になるという、そんなばかな話はない。そんなことを思って結婚するから憂うつになるんですね。なんのために結婚して夫婦になるのかといったら、苦しむために、「井戸掘り」をするためなんだ、というのがぼくの結論なのです。井戸掘りは大変なことです。だから、べつにしなくてもいいのじゃないかと思ったりもするんですよ。

村上  それはひとつの知恵ですね。

河合  ええ。自分は不幸だ不幸だと嘆いて、人に迷惑かけるぐらいだったら、離婚するのもひとつの方法ではないかと思います。

村上  何度も結婚する人がいますよね、3回も4回も。

河合  そういうのは大抵、井戸掘りを拒否しているんですね。井戸を掘るのはしんどいから、掘らないであちこち別の人を探しているけれど、結局、同じような人を相手にしていますよ。

河合隼雄の語る夫婦というもの - mmpoloの日記

 河合隼雄×村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)を読む。

(via ginzuna)

(pgtwitterから)