Noriyuki Gaya bidang

「名言に感銘を受けても、5分後には忘れている」 という名言だけは覚えている私がお伝えする、大枠は大勢に従うが、細かいところで抵抗して"みたい"そんな日々。
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山本五十六の名言「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、ほめてやらねば,人は動かじ。」には続きがある。

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」

と続く。 #意外と知られてないこと

新幹線の電光掲示板がかなり面白いことになっている。

まあ、山の手言葉が標準語ってことになったのと同じで、東京は一部の企業での狭い内輪の文化でしか無いこういった話が、
マスメディアの発達とともに、適度に変容して地方にも伝わったり色々して、今に至るわけだ。
で、「お酌問題」ってのも、文化的な衝突なんだよ。
しかも、年代と地域によって大きく異る文化だから、まさに異文化交流と言っていい。
んでな、これ話としては順序が逆なんだよ。
1. 神事としての頃から連綿と続く、「仲良くなるには、メシを一緒に食う」という文化がある。
2. 礼講(無礼講の逆な)として、席次や杯の順番が決まってる。(決めとかないと、仲悪いやつ並べるときにヤヤコしすぎる)
3. そんな中で、手酌は「宴会で、参加者と仲良くなるつもりがない」というサインになる。
4. だから、宴会では「手酌が出来ない≒誰かに酌をしてもらう」事になってる。
手酌が失礼にあたるとか言われても、若い人にゃピンとこないだろ。
合コン来といてずっとスマホ弄ってるみたいなの想像してくれ。
オマエソレ楽しそうにLINEしてるけど、なんで合コン来たの?みたいな。(それでも古いイメージかも知れんが)
宴会においては、美味い酒を飲む・美味いメシを食うってのは二の次で、基本は「メシ食って仲良くなろうぜ」が目的なワケだ。
マナーとかプロトコルってのは、メンドクセエから決めとく「考えなくて良いように共通化しといた作法」なワケだ。
いまは、昭和にマナーとされて決まってたことが、良く考えたら良くねぇな、と解体されてる。
だから、郷に入っては郷に従えとは言わん。
ヤなことは嫌でいいと思うし、判らんことは判らんと言って良い。
年長者が年少者に対して思いやれないのであれば、そりゃ単なるオシツケだ。
宴会断って評価が下がるだの昇進できねえだのってのも減っては来てるだろ。
でも、自分が理解できん文化を軽視するのは、異なる文化を持つ人に対峙する態度として正しいだろうか?
(相手が正しくない態度だからといって、自分までそうするこたないと、俺は思う)

まあ、部署で宴会するから断りきれなくて、と参加しちまった時は、ホンの少しだけで良いんだ。
思い出して欲しい。
目の前に居るのは、自分とは違う赤の他人で、全く違う時代を生きてきて、全く違う文化を持ってる人間だってことを。
たぶんガキの頃の遊び方も、家庭の考え方も、ハレの日の食い物も、何が良しとされるかも違ってきた。
同じ日本人に見えるかもしれないが、そこに居るのは大抵の場合、異文化人だ。
文明人未踏の未開の地で、(嫌々ながらかも知れんが)部族の一員になって、その部族の祝宴に招待された。
そうしたときにどう振る舞うのが良いのかは、各々の信念に基づくだろうが、ちっと思いやってもバチは当たらねぇよ。
被告に対し、このたび裁判所が下したのは4年の実刑判決。本人が深く反省していることと、爆破させる際、人に危害を加えないよう十分配慮していたことによる温情判決だ。